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2010年11月16日 (火)

事業たわけ

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読売新聞朝刊を見て驚いた。
「杉並区は15日、学識経験者5名からなる外部評価委員会を公開で開催し、2010年度の事務事業等の外部評価(事業仕分け)を行ない、"アニメ産業の育成・支援"について委員会は<廃止を含む抜本的な見直し>と評価した。」とある。

また、ネットのjapanimate.comの記事によれば、
「若手アニメーターの育成事業となる"杉並アニメ塾"では、過去6年間に45名の卒業生を送り出し、区内のアニメ制作会社に39名が就職したが、正社員としての採用であったのかの確認やその後の追跡調査もなく、委員からは効果を疑う発言があった。」

わが社は匠塾の中心メンバーであり、現在でも2名研修中、5名が契約社員として働いている。
残念ながら現在は離れてしまったが、他にもかつて在籍していた元匠塾生も4名いた。一目瞭然でうちの会社に来てもらえば、匠塾のはたしている機能は大変大きいと解る。1970年から40年にわたって杉並区で制作している我が社を支えていることは産業育成に他ならないと僕は思う。
 効果を疑うのなら、もっと予算をつけて頂きたい。そうすれば、もっともっと目に見える結果が出るだろう。
 流行にのっただけの近視眼的な仕分けは、"たわけ"にすぎない。


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2010年11月12日 (金)

DOniCA?

ジャニカのあれこれを記録するために別なブログを始めました。

DOniCA?

http://donica.blog136.fc2.com/

「どうなっているんだ?JAniCA?となみきたかしが勝手に動いた偽善的な行動の記録」
という副題です。そんなに面白くないですよ、メモです。

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2010年11月 7日 (日)

名が先

Nagasaki2

アニメーターは金ではなく名誉を求める。
仲間であり、後進を育てる中核として活躍しなくてはいけないベテランが次々と亡くなっていくことを、若いアニメーター諸君はどう感じているのか?

かつてスタジオNo.1に所属し、ガンダムや近年では東映作品で活躍したアニメーター長崎重信氏が10月29日大腸がんのため永眠。金田氏の後輩というか、金田組の中心メンバーというふうな印象が強いけれど、最近はフリーで自宅作業をしていたとのこと。
写真のように、なにかというと飲んで騒いでいたのも30年近く前の話しになりますか。
山内、内山と相次ぐ訃報は、金田氏が連れていっている感もあり、「いい加減にしろ!カナダ!」とつぶやいてしまう程です。
長崎"くん"は、僕にとっては元オープロダクションの人間という気持ちも強い。
キャリアは先輩だけど、移籍してきたので会社では後輩、という同僚で、何年か小松原一男の下で同じ「東映部屋」(東映班のためのほったて小屋)にいた仲間でもありました。今でもこの時代の思い出が鮮明で、日本のテレビ・アニメーションの歴史の中で熱い時期でもあったと思えます。僕個人でもそうだけれど、"アニメ"史でも「青春」だったような気がします。

嘆きつつ、11月6日の通夜、7日の告別式へ手伝いをしようと、行きました。
東西線の落合駅から歩いて5分の落合斎場は、4つの葬儀が隣り合わせで同時に行われる都会ならではの込み合った会場。となりのお経が聞こえてきたり、ちょっと落ち着かない斎場です。
 とはいえ、粛々と式は進み、野田さんはじめ、金田牧子さん、亀垣氏、本橋氏、越智氏、鍋島氏、山下氏、髙橋氏などNo.1関係者も来てくれてさびしくはない会になりました。
翌日の告別式には貞光氏も来てくれました。弔辞は、僕が野田さんに頼んだのだけれど、いくら師匠だからとはいえ、相次ぐ訃報に心中如何ばかりか。勝手ながら、以下に哀切の弔辞を掲載する。

「弔辞 長崎重信くん。...長崎くん、今日このような形で貴方を送る事になろうとは考えてもいませんでした。私より一回り以上も若い貴方を、こうして送らなければならないことに心が痛みます。
長崎くん...私は今遠く30年も昔のことを思い出しています。保谷のスタジオNo.1のことです。貴方はまだ若く、アニメーターとしても新人の頃でした。貴方は多くの仲間達に恵まれ、良く仕事をし、良く遊び、保谷の町で食事をし、たまには仲間と飲み、町をぶらつき......それが私たちの日常でした。
私にはなぜか、貴方がその独特なシャイな感じで照れくさそうに笑っている、その顔ばかりが思い出されます。アニメーターとしての研鑽も怠りませんでした。30分のテレビの仕事をほとんど一人で描き上げたこともありましたね。...驚きました。
その時期に身につけたアニメーターとしての力量が、その後の長いアニメーター生活を支えたのだと思います。
 奥さんの美貴さんと出会ったのもこの頃でしたね。間違いなく貴方にとって思い出深い時期だったと思います。
あれから30年の年月が過ぎたのですね。その後の長いご無沙汰を許して下さい。病の身である貴方をお見舞いすることもありませんでした。悔いが残ります。
長崎くん...貴方が若い頃に、貴方の身近にいて一緒に過ごした一先輩として、貴方の事を思い出しながらこれを書きました。お別れの言葉といたします。安らかにお眠りください。 野田卓雄」

喪主の美貴さんから、故人がこのブログを"お気に入り"に入れて読んでいたと聞いて驚いたのは、なんだかコンピュータを扱っている姿は彼らしくない思えないからなのか。オープロのことを気にしてくれたのか。長崎くん、これも読んでいるかい?

(写真は28年前の「みんなで三十路を迎える会」、荻窪の居酒屋で)

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